なぜ私が福祉車両を取り扱うのか

福祉車両ヤマシタオートの山下です。

こちらのページでは、なぜ私が福祉車両事業を始めたのか

詳しくご紹介させていただきます。

少し長い文章ですが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

わたしは障がい者だった

私は生まれた時から心臓が悪く、産後すぐに入院しました。

 

入院期間は1年5ヶ月。その間2回の大手術を受けました。

私自身は全く覚えていませんが、

当時私の家族や親戚は、都内の病院と静岡を行き来する、

とても大変な入院生活をしていたそうです。

 

2回の手術は成功して容体も安定し、

おかげさまで退院後は特に変調や障害もなく、

成長するにつれて様々な制限が解除されました。

 

一方で、私と同じ病気で同時期に手術を受けた人が亡くなったり、

重度の障害を持ったりしたことを、両親から10代の時に聞かされました。

 

その当時は幼いながら、

「助かったこの命を、人の役に立つことにつなげていけたら。」

と思うようになるとともに、

いつも頭の隅に「医療」「福祉」というキーワードがありました。

 

技術者を目指した20代

私たちの会社は、私の祖父によって1964年に設立されました。

以後50年以上、街の車屋さん(モータース)として静岡県牧之原市の地で営業を続けていました。

 

私が学生時代には、父が整備士として会社を切り盛りしており、

そんな父を見て育ったおかげで、自分も自動車業界で働きたいと思うようになりました。

そして、父が車を修理する仕事をしているなら、自分は車を作る仕事をしたい!

せっかくなら「技術者になって次世代の車を作りたい!」と、大学進学を目指しました。

 

しかし、大きな「挫折」と「勘違い」が待っていました。

 

当時、車を作るのは「機械工学」だと思っていたので、

とある国立大学と大阪府立大学の機械工学科を試験を受けました。

しかしながら、両方の結果は不合格でした。

 

唯一合格したのは、大阪府立大学で2番目に選んだ応用化学科でした。

 

 

目指した「機械工学」ではなかったですが、

私は浪人したくない一心でしぶしぶ学校に入学しました。

しかしながら半年ほどたつと、応用化学を専攻した理由が見いだせずに、大学進学した目的を見失いました。

 

大学進学で挫折した思いを持っていたのですが、しばらく経つとあることに気づきました。

「燃料電池自動車」「電気自動車」

進学した応用化学の分野で、これから燃料電池や次世代電池の研究が盛り上がり、自動車に応用される時代が来るというのです。

ちょうど2000年の頃でした。

 

大学進学時は応用化学にはいって挫折を感じていましたが実は大きな間違いで、

これからの自動車開発は「化学」がカギになることが、進学後にわかったのです。

失敗と思った道が、振り返ったら成功への道だったわけです。

 

その後「燃料電池」の研究を専攻して 大学院に進学、就職も化学メーカーで燃料電池の開発技術者になりました。

 

 

当時の東京モーターショーで、次世代燃料電池車として携わったプロジェクトが公開されたことを今でも鮮明に覚えています。

 

 

家業に戻ることを決めた30代

当社創設の祖父は、私が30歳の時に亡くなりました。

 

その直後、私は開発技術者として長く取り組んできたプロジェクトが成果を上げておわりました。

この時、このまま技術者 として働き続けるのか、30歳の節目で家業に戻るか、相当に迷いました。

技術者として将来の目指す道が見えてきたところだったので、このまま続けてもおそらく安泰なサラリーマン生活でしたが、

せっかく戻る家業があるのだからという思いで、家業を引き継ぐことを決意しました。

2014年のことでした。

 

しかし当時の自動車整備業界は、車検や格安販売の急増などですでに競争が激しく、家業のようなモータースは衰退していました。

 

しかしながら、家業を継いだからには営業して仕事を取ってこないといけません。

営業の訓練としてはじめに、自動車保険をはじめとする損害保険の営業をやりました。

 

これまで技術者として内向的な仕事ばかりやってきたため、営業という対外的な仕事はとても苦労しました。

 

もちろん始めは結果も出ません。

技術者を辞めたことを後悔する日が続きました。

多くの人に、なぜ大手メーカーを辞めてクルマ屋をやっているのか、嫌になるほど聞かれました。

 

それでも、やると決めたからには徹底的にやりました。

TELアポは一日200件、飛び込み営業も休まず続けました。

 

おかげさまで1年後には、年間保険料売上高1,000万円を超え、県内トップの成績を収めることができました。

 

 

営業を続ける傍ら、将来の会社の方向性についても考えていました。

 

営業先での話の中で、高齢者施設の送迎で使う福祉車両のことで困っているという内容を聞きました。

この問題を解決できればビジネスチャンスになるという思いと、若い時に頭に描いた「福祉」が重なった瞬間、

福祉車両のビジネスを始めようと決意しました。

介護施設で使われる福祉車両の修理事業を、2015年に始めました。

 

ありがたいことにこの福祉車両修理事業は、多くの介護施設からご好評をいただき、

傾いていた家業を立て直すことができました。

 

福祉車両専門店への進化

高齢者を対象にした福祉車両修理事業を進めていく中で

今度は、自分の原点である障がい者にも力を入れたいとの思いで、

「障がい者が自由に移動を手に入れる」福祉車両改造を2017年より始めました。

 

足が不自由な方が「手」で運転する手動運転装置を取り付けたり、

好きな車に乗るために乗り降りを楽にする回転昇降シートを取り付けたり、

多くの方に、運転する喜びや好きな車に乗る楽しさをお届けできたのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

そして2020年、多くの方からご要望をいただき、福祉車両の販売を始めました。

当社はディーラーではないため新車をたくさん並べることは難しいのですが、

ディーラーではないからこそ、どの自動車メーカーの車でも扱うことができます。

多種多様な福祉車両の中から選んでいただけ、そしてこれまで培ってきた福祉車両や介護に関する知識でお客様をサポートできます。

さらに、福祉車両を購入いただくか、今お乗りの車を改造して福祉車両にするか、お客様に選んでいただけます。

 

そんな理想的な「福祉車両専門店」を作ることができました。

おかげ様で毎日全国からメールや電話、LINEでお問い合わせいただいております。

 

技術者出身の私が作り上げた「福祉車両専門店」は今、心強いスタッフのみんなが支えてくれて、

全国の多くのお客様に「笑顔」となって届いています。

今後さらに、多くの方に笑顔をお届けできるよう、スタッフ一同努力を重ねてお客様をお迎えします。

 

 

新たな目標

私には技術者時代にかなえられなかった夢が一つ、あります。それは海外でビジネスをすることです。

技術者時代に行っていた仕事は海外ともやりとりがあり、研究員を辞めていなかったらその年に海外に行く予定でした。

 

「このビジネスで海外に出たい!」

この思いは近い将来必ず実現させます。日本と同じように高齢化による移動の問題が起こる国は多くあります。

そして日本の車が世界で活躍しています。

であれば、日本の福祉車両が海外で多く使用される未来が必ずあるはずです。

私はそう信じて、新たな世界への道を切り開く覚悟で、これからも邁進します。

 

一緒に働くスタッフの募集

当社では私の想いに賛同して、一緒に働いてくれるスタッフを募集しています。

勤務地は基本的には本社の静岡県牧之原市ですが、

今後の事業展開も踏まえて、遠方の方もお声掛けいただければと思っております。

良かったら下記リンクをクリックして求人情報をご覧ください。

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